投資に役立つ! 天才ハムスターの徒然日記

投資や起業、生活に役立つ情報やタダの余談をお伝えします。語り部はは極々天才(※ハムスター比)で、あくまで可愛いゴールデンハムスター『はむ・すぶた』。斜め上から目線だが、本質的には、たん…純粋で天然。好きになったら一途なのだ。 一途。 そんな人とは違う視点で綴る一風変わったブログを末永くお付き合いください!

【唯一絶対の】競馬の予想方法が判明した その⑮

 

はじめに

このシリーズは

この道1万時間を優に超える小生の独断的考察で

「血統こそが、唯一の競馬予想方法」という極論を基に

最終的に、"誰もが使える競馬予想" に

うっかり たどり着いてしまうシリーズである。

 

ちょっと長期連載である。

末永くお付き合いください♡

 

人間の思惑。予想外の展開。

 

7月15日

オルフェーヴル凱旋門賞挑戦が正式に表明される。

また、その際に騎乗するジョッキーについて、池添謙一から

欧州で活躍するトップジョッキー、クリストフ・スミヨン

乗り替わることも併せて発表された。

 

理由は、池添がフランスでの騎乗経験がなかったこと。

それに対し、スミヨンは2003年のダラカニ

2008年のザラカヴァと2度の凱旋門賞の優勝経験がある。

 

メジャーリーグや欧州サッカーなど、

日本人選手が活躍する様が日常的に報道されるようになり、

外国人選手に対し、ひと昔前のように絶対的劣勢を感じなくなったスポーツが多い。

 

しかし、今日の競馬においては、

「外国人ジョッキーである」という理由だけで

大変ありがたがる傾向が顕著である。

 

外国人ジョッキーをカタカナ騎手と呼ぶのは如何かと

カタカナ騎手

むしろ、ルサンチマンに近いかもしれない。

 

「また、カタカナ騎手が勝ったよ」

 

と、失笑ともつかないセリフが、

競馬場や場外馬券場のそこ各所で聞かれることが

それを裏付けている。

 

実際、世界的にも活躍するトップジョッキーが来日し、

騎乗する場面が増えてきている。

彼女、彼らは、技術的にも実績的にも充分に素晴らしい。

 

それでも、と思う。

 

池添謙一を背に乗せないオルフェーヴルが、

もし凱旋門賞を日本馬が初めて勝ったとしても、

心の底から喜べるのだろうか? と

 

優勝劣敗の世界の話しである。

ウェットな人情劇だけではやってはいけないことは承知している。

 

確かに、その時点で池添は

実績や技術の点で、スミヨンに劣っていたかもしれない。

 

しかし、池添が、100%スミヨンに勝っていた部分がある。

 

オルフェーヴル」を知っていたことである。

 

フランス遠征

9月16日。凱旋門賞の前哨戦フォワ賞

最終の調教の際に、実際にオルフェーヴルに背中を感触を体験したスミヨンは、

スローペースにやや折り合いを欠きそうになるオルフェーヴルを宥め、

見事、先頭でゴールへと導くことに成功する。

 

「前哨戦として、余力を残しながら、本番に繋がるよう良いレースが出来ました」

(スミヨン談)

 

「ジョッキーは、調教に乗って、コントロールし易いと言っていましたが、

 必ずしもそうではないところを、身をもって感じてもらえたと思います。

 馬だけでなく騎手にとっても、本番に向けてよい経験になったと思います。」

(池江調教師談)

 

そして、10月7日。

第91回凱旋門賞当日を迎える。

 

この凱旋門賞

過去に欧州調教馬以外の優勝馬が出ていないことでも有名である。

ヨーロッパ全体のプライドを感じさせる。

 

それでも、日本馬は、その制覇に最も近づいた瞬間が過去2回あった。

(※ 2着は過去4回ある(2020年9月時点))

1つが、オルフェーヴルの先輩三冠馬ディープインパクト

そして、もう1つが、エルコンドルパサーである。

 

欧州が本気になった日

エルコンドルパサーは、1999年

凱旋門賞に挑戦すべく、主戦場であった日本を離れ、

ヨーロッパへの長期遠征を決断する。

 

凱旋門賞はポンといって勝てるようなレースではない。

 腰を据え、挑戦しないといけないと考えている」

 

ブリーダーでもあるオーナー渡邊は、そう言って、自費を叩いての長期遠征であった。

 

当時まだ、日本の競馬はヨーロッパでの地位は高くない。

どんなに強い馬といっても、参加賞が良いところだろう。

ヨーロッパの競馬関係者は、そう高を括っていた。

 

しかし、7月4日、その評価は一変する。

GI サンクルー大賞 芝2,400mへの出走。

 

前年の全欧年度代表馬ドリームウェルをはじめ、

前年の凱旋門賞勝馬サガミックス、ドイツの年度代表馬タイガーヒルなど、

欧州を代表する錚々たるメンバーが集まる中、

エルコンドルパサーは、2着タイガーヒルに2馬身半の差をつけて優勝。

 

2,400m=1.5マイルは、クラシックディスタンスと呼ばれ、

凱旋門賞や各国のダービーをはじめ、世界の多くの格式あるレースが

この条件で施行されている。

 

その条件で行われる、競馬発祥の地 本場ヨーロッパのGIレースを

日本から来た馬が制覇したのである。

 

しかし、そうやすやすと、最高峰の牙城を引き渡すわけにはいかない。

ヨーロッパ全体が本気になった瞬間であった。

 

 

10月3日、凱旋門賞本番を迎える。

エルコンドルパサーは、

その年の愛ダービーモンジューに次いで2番人気に推される。

 

最内枠のゲートに入ったエルコンドルパサーは、

絶好のスタートを決め、先頭でレースを展開することとなる。

 

ここで不思議なことが2つ起こる。

 

ヨーロッパでは、陣営の本命馬に有利なペースになるよう

ペースメーカーとなる馬を出走させることがある。

 

このレースにも、モンジュー陣営のペースメーカーが出走していたのだが、

"何故か" 先頭に立ってペースを作ることをしなかった。

 

結果、押し出されたエルコンドルパサーが、終始先頭を走るレース展開になる。

 

これが1つめ。

 

そして、もう1つ。

ヨーロッパのレースは、よくスローペースになる。

その為、ぎゅっと固まった馬群のまま、レースが進み、

最終の直線に入ったときに、ヨーイドンという展開になることが多い。

 

結果、内ラチ側を走っていた馬は、前や横を走る馬が壁になり、

その壁を抜け出せず、不本意な結果に終わってしまうことも起こりうるのだ。

 

その例の通り、このレースもスローペースで進み、

1番人気のモンジューは、終始、内ラチ沿いの馬群の真ん中6番手で

レースすることを余儀なくされていた。

 

最後の直線。

エルコンドルパサーは後続に2馬身ほどの差をつけたまま、ラストスパート。

 

そのときである。

"何故か"モンジューの前に、ぽっかり進路が開いたのである。

 

後続との差を広げるエルコンドルパサー

その隙間から外に持ち出し、猛追するモンジュー

後続の馬は、全くついてこれない。

 

残り100m。2頭が完全に並ぶ。

モンジューが前に出る。

エルコンドルパサーが盛り返す。

 

そして、ゴール。

半馬身差。モンジューエルコンドルパサーの先にゴールを切った。

 

やはり、壁は高い。でも、ただくやしい。

それでも! いつかは。 そう思わせてくれた最初の瞬間だった。

 

翌日、現地メディアは

「チャンピオンが2頭いた」

と報じた。

 

3着馬は、モンジューエルコンドルパサーに遅れること6馬身。

それでも、勝者の名前は1頭分しか余白を許さなかった。

 

そして、ひとつの結末へ


第3コーナー。

変わらず後方2番手を進む。

馬群はやや縦長。

 

そして、第4コーナー。

それまでオルフェーヴルが落ち着いて走れるよう、

並走して走っていた僚馬アヴェンティーノが、お役御免と、外に進路を取り

オルフェーヴルに道を譲る。

 

そして最後の直線。

大外から馬なりのままポジションを上げるオルフェーヴル

スミヨンの追い出しに応え、残り300mで先頭に。

さらに後続を突き放していく。

 

勝った!

 

日本中のファンが思った。

1969年スピードシンボリの挑戦から数えること43年。

しかし、勝つときというのは、こうもあっさり…

 

そう思った、まさにその時である。

 

オルフェーヴルが、内ラチに向かって急激に斜行したのである。

そう。父ステイゴールドのラストランのように。

 

急速に失速してしまったオルフェーヴルを、

鞍上スミヨンは、右からの鞭で必死に立て直す。

しかし、内を真っすぐ走ってきた牝馬ソレミアに並ばれる。

 

そして、ちょうど交わされたところがゴール板だった。

 

大きな失敗やチャンスを逸したとき、人は、誰かに責任を負わせたくなる。

 

「日本の競走馬が世界のトップレベルにあることは事実だが、

 自分の技術が世界レベルになかった。」

 

「調教と前哨戦に乗った感触で、スミヨンはオルフェーヴル

 乗りやすい馬だと思ってしまった。

 もっと、広い調教場などで乗ってもらって、

 ああいう癖のある馬であることを体験させておけば良かった。」

 

調教師の池江は、そう後悔を述べ、

「勝つためにまた戻ってくる」と総括した。