投資に役立つ! 天才ハムスターの徒然日記

投資や起業、生活に役立つ情報やタダの余談をお伝えします。語り部はは極々天才(※ハムスター比)で、あくまで可愛いゴールデンハムスター『はむ・すぶた』。斜め上から目線だが、本質的には、たん…純粋で天然。好きになったら一途なのだ。 一途。 そんな人とは違う視点で綴る一風変わったブログを末永くお付き合いください!

【唯一絶対の】競馬の予想方法が判明した その⑯

 

はじめに

このシリーズは

この道1万時間を優に超える小生の独断的考察で

「血統こそが、唯一の競馬予想方法」という極論を基に

最終的に、"誰もが使える競馬予想" に

うっかり たどり着いてしまうシリーズである。

 

ちょっと長期連載である。

末永くお付き合いください♡

 

勝つためにまた戻る

翌年、オルフェーヴルは国内で1戦した後、

再び凱旋門賞を目指し欧州遠征へと乗り出す。

 

その間、池添は、4月からフランスへ遠征していた。

前年指摘された「ヨーロッパでの経験不足」を補い、

凱旋門賞オルフェーヴルの騎乗依頼をもらうためである。

 

しかし、高が騎手の努力など、

人間の思惑には勝てないのである(某有名プロ野球オーナー風)

 

「昨秋の遠征時、スミヨン騎手はレース騎乗だけでなく、

 オルフェーヴルに付きっきりで調教をつけてくれた。

 そういう精力的な姿勢も評価したうえでの契約になったのではないか

サンデーレーシング 吉田俊介代表談)

 

既に、オーナーであるサンデーレーシングとジョッキーの間で

フランス2戦の優先騎乗の契約が交わさせており、

4月末には、管理する調教師の池江の下に、その契約書が届けられたのだ。

 

しかし、思う。

オーナー会社の代表が「~ではないか」?

 

どこの世界にも中間管理職というものは、存在するものだ。

 

日本が本気になった

10月6日。

あの日から1年が経つ。第92回凱旋門賞

 

2013年の凱旋門賞には、

その年の日本ダービー馬で、前哨戦を勝ったキズナ武豊を背に参戦した。

 

「日本が本気で凱旋門賞を獲りに来た!」

 

現地、ヨーロッパの競馬関係者は、肌感覚で危機感を抱いた。

 

当日、日本人約6,000人が押し掛けたロンシャン競馬場で迎える本番。

昨年同様、後方外目にポジションをとるオルフェーヴル

キズナは、その後ろを進む。

 

フォルスストレート。

馬群が、ぎゅっと凝縮する。

オルフェーヴルはその馬群の中央。キズナオルフェーヴルの外に並びかける。

 

そして、最後の直線。

日本馬2頭とも、完全に先頭をとらえられるポジション。

 

キズナ=武豊オルフェーヴル=クリストフ・スミヨン

ほぼ同時に愛馬を仕掛ける。

 

しかし、

先頭に走ったのは、その年の仏オークストレヴだった。

直線追いすがるものの、オルフェーヴルトレヴの5馬身後ろの2着。

 

キズナはその2馬身後ろの4着。

 


凱旋門賞制覇という扉が、去年は一瞬開けることができて

 ゴール寸前で閉じたという感じだったが、

 今年はその扉に手をかけることすらできなかった」

 

池江は、完敗を認めざるを得なかった。

後のトレヴは、2014年の凱旋門賞も連覇する。

 

 

ひとつの想像を携えて

帰国したオルフェーヴルは、

暮れのグランプリ有馬記念で、ファン投票1位に選出される。

そして、それが現役最後のレースと定められた。

 

鞍上は池添謙一

 

このオファーを受けたときの池添の心境は量り知れない。

 

ただひとつ

確かなのは、ここで池添が、

「いまさら、なに言ってるんすか!」

と、オファーを叩き返したとしても…

 

ならば、誰もが納得する形で!

 

最後の競走がスタートする。

福永祐一騎乗のルルーシュが逃げる。

オルフェーヴルは、同じステイゴールド産駒でGI5勝(当時)

ライアン・ムーアに乗り替わって臨んだゴールドシップの直後、後方4番手を進む。

 

前半1,000m通過60.8秒。

淡々とレースが進む。

 

3コーナー。

馬群がぐっと凝縮する。

オルフェーヴルが、馬群の外から前のゴールドシップを交わし徐々に先団へ。

 

最終コーナー。

オルフェーヴルは、早々と先頭に立ってします。

 

そして、

オルフェーヴルは、まっすぐ走った。

後続の馬が、離れていく。

これがラストラン。

更に走る。

 

2着につけたその差は、なんと8馬身。圧勝である。

 

「僕はオルフェーヴルが世界一強いと思います」

池添は、有馬記念の表彰式で、そう応えた。

「泣かんとこう」

レース前から、そう決めていたという。


有馬記念に関しては、勝つというのはもちろんですが、

 種牡馬として無事に馬産地へ送り返すことも重要な使命になります。

 だから、リスクをともなうほどの強い調教はできませんし、する気もありません。」

調教師の池江は、レース前にそう応えている。

 

2013年、CSの番組「武豊TV! 2」の人気企画

ジョッキー新年会に呼ばれたとき、

武豊オルフェーヴルのことを聞かれたとき、こう応えていた。

 

凱旋門賞は…まだ乗せてもらえるか分からないですけど、

 でも、絶対に乗りたいです。

 オレしか知らないクセとかあるんで」

 

もし、アノ凱旋門賞に池添が乗っていたら~

もし、次にオルフェーヴルのような仔が生まれたら~

 

見守ったファンも、池添と同じことを想像したに違いない。

 

そして、オルフェーヴルもまた、次の闘いへと旅立っていく。

そんな想像を携えて。

 

 

もうひとつの想像

話しを、父ステイゴールドに戻す。

 

競走馬時代同様、それ以上に種牡馬になってからは、

人間のバックアップがなければ、成功など覚束ない。

 

ステイゴールドは、種牡馬デビューの時点で、

最高のバックアップがほとんど期待できない環境

故郷である社台グループの恩恵を預かれない状況からのスタートだった。

 

「そんな中での、この成績… 正直、奇跡に近い。

 ステイゴールドを手放したのは、社台グループの痛恨の極み」

 

社台ファーム代表で、社台スタリオンステーション代表取締役である

吉田照哉は、後日そう評している。

 

つまり、逆説的だが、社台グループの人間をして、

ステイゴールドの本当の競走能力を推し量ることが出来なかった

もしくは

SS系種牡馬の能力は、その競走能力に準拠するという法則を信じ切れなかった

ということなのだろう。

 

確かに、種牡馬の成績でいえば、

ディープインパクト産駒のほうが圧倒的に安定感がある。

 

しかし、父にも似た狂気じみた、それでいて怪物じみた産駒を輩出したのは

ステイゴールドのほうだった。

 

もし、ステイゴールドが本気で走ったならば。

そんな想像が、また楽しくなる。

 

 

2015年2月5日

ステイゴールドはこの世を去る。

死因は大動脈破裂。

遺骨は、繋養先のブリーダーズスタリオンステーションに埋葬された。

 

その血は、オルフェーヴルを始め、

多くの子どもたちを通して、後世に伝えられていく。

 

またその中から、ステイゴールドのような

オルフェーヴルのような仔が生まれるか、それは分からない。

 

でも、父を超える仔は必ず生まれる。

 

きっとまた、

楽しい想像をさせてくれる競走馬に出会えるよ。